太陽の画家 三谷祐資の絵画

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錦繍富士冠雪 180×540cm

富士山の初冠雪は早い。
9月の中頃で我々はまだ猛暑の頃である。 初冠雪が終わり何度目かの降雪後のこのまま冬の雪として残りそうな頃、富士山の下の方は秋たけなわ、富士山の5合目は紅葉も終えている。前夜の雪も少し解け、真白き富士山がレースのドレスをまとった様な模様に覆われている。 富士山の頂きから麓にのびやかに線を描いていた。 あまりの美しさに富士宮の高台を目指して駆け上った。 それからも描くために何度も出掛けたが、この模様はこの時だけだった。富士山が両手を広げて、さあ描け、と言っているように思えた。そして稜線はなだらかに駿河湾にながれゆく。

世界遺産になって初めての元旦に夜空がしらみ始めた頃、ヘリコプターで飛び立つと、ゆっくりと湾曲した水平線が赤く染まり駿河湾を望む。いきなり伊豆半島が見え、その向こうの太平洋の彼方から太陽は昇るようだった。時速2百キロで飛ぶヘリはみるみる内に高度を上げ、富士山上空を飛ぶ。 右に回りこむと太陽の光が感じられ、描く為にこの高度4千メートルで窓を全開、いきなりマイナス20℃。 張りつめた空気に風、そして荘厳なまでの富士の姿、下界は暗闇、冷たさの中で必死に描く。思えば2月の宗谷岬も同じだった。富士山を右に左にと太陽を変え、寒いのに太陽は地上で見るよりはるかに強烈で、天空の蒼は宇宙色、酸素マスクをつけて描くので思うようには描けない。富士の嶺より風で雪が吹き飛んでゆく。急斜面には黒々とした岩山も見え、峻厳で人を寄せ付けない。巨大な富士を眼前にして、ましては冬。人間の弱さを感じたが、我々を遥かに超えた存在としてありのままを描こうと思った。


世界遺産元旦 飛翔霊峰富士 242.5×485cm


富士燦々初雪 145×450cm

秋の終わり頃、富士初雪を願って富士山5合目に向かった。
生憎の天気で外は嵐の様、登るのをためらっていたが意を決して小石が飛ぶ中を登る。
小石が頬を叩き、痛さに耐えながら崩れる山を登る。 森林限界を超え6合目付近に来るが、装備が無いのでそれ以上登れない。富士は見えず石ころだらけ。 灰色の雲が竜の様に暴れ寄せ付けない。暫く我慢していると、急に雲が割れ始め、大きな太陽が燦々と降り注いできた。雲の中から現れた巨大な太陽は、まさに神だった。光が体を抜けてゆく。
そして晴れた富士は初冠雪だ。


峻厳富士大火口 50号変形


宙空宝永富士 120×240cm

「霊峰富士山」 三部作


飛翔霊峰富士 91.5×85.3cm


錦繍霊峰富士 91.5×85.3cm


霊峰赤富士 91.5×85.3cm

富士山が世界遺産になって初めての元旦に幸運にもヘリコプターで取材する機会を与えられた。
酸素マスクをつけ上空4000メートル、窓を開けるとマイナス20℃、張り詰めた空気が伝わってくる。富士山の胎動が伝わってくるようで、峻厳で荘厳、風速60メートルで雪煙が舞い、我々を寄せ付けない霊峰富士である。
上空を見上げると、宇宙へと続く蒼空が広がっていた。

富士山の初冠雪は早い。9月の終わり頃、我々はまだ夏仕度だが、富士山の6合目から紅葉が始まり、そして初冠雪になる。丁度その頃、富士山の麓の富士宮に着いた。突然現れた富士は美しく、レース模様のドレスをまとった貴婦人のようで、さあ 私を描いて と言っているようだった。

雲のない夏の朝早く薄雲がかかった時、真赤な赤富士になる。夏は朝早くから霞むことが多く、真赤な富士は滅多に見られないから描く事になる。冬は雪が多いので紅富士と淡くなるが、やさしくうっとりする美しさだ。真赤になった富士を見ると何もかも心奪われて、自心も赤く力がみなぎってくる。縁起もあるだろうが、赤のエネルギーと霊峰富士を描いていると、こちらまで力が湧いてくる。



富士湧水 柿田川ブルー 180×540cm


峻厳知床半島 オホーツクの流氷 227.5×545.5cm

40年ぶりに北海道の流氷の取材に向かいました。
北海道の流氷は、世界で最も南にある流氷だそうです。
厳寒の2月初め、知床岬への流氷の着岸を目指して、夜明けと共にヘリコプターで飛び立ちました。道が氷で閉ざされているので、それしか方法がありません。上空より見る流氷は海流も模様を描き、−360度、自然の姿そのままの雄大な光景− に、ただ呆然としました。40年前の流氷と比べ、ずいぶん薄くなっていたのが気がかりな事です。


天空グリーンランド氷山 242×140cm


グリーンランド氷山 一万年の刻 140×242cm


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