太陽の画家 三谷祐資
太陽の画家三谷祐資のことば
自然について(太陽の画家三谷祐資)
随分と合理性の元に失われるものも多く、自然を考えなくなったのが、自然と人間の関係をおかしくしている原因だと思うのです。特に日本人は豊かな自然の中に住み、四季折々の美しさや季節の移り変わりの中に「もののあわれ」や美しい情緒や繊細さを持ち、古来様々な世界にも誇れる文化を持っていた民族だと思うのですが、昨今の日本は何か合理的経済性ばかりで、繁栄はしましたが、自然からは見離されていくという危うい状態です。
世界にも稀な四季の国であるという実感が無いというか、あまり考えた事がないというに等しいと思います。 日本の四季は、インド・ベンガル湾で暖められ湿った空気が上昇し、ヒマラヤに遮られて偏西風に乗り、アジア・日本まで運ばれ湿気をもたらし、冬はヒマラヤによって遮られたモンゴルや中国北部の冷たい乾いた空気が偏西風によって運ばれ、春夏秋冬という世界にもまれな四季を織り成している、まさに奇跡に近い所に住んでいて、毎日手を合わせても余りある幸せです。
自然と風土(太陽の画家三谷祐資)
20代に読んだ和辻哲郎の「風土」がやはり衝撃だった。 日本とヨーロッパの違いなど、文化の違いくらいしか考えなかったというより西洋の美術・絵画を学ぶのが精一杯で、まして風土を考える余裕などなかった。その事で後程、油絵から遠ざかる事になるのだが。 30代になってヨーロッパからインドまで旅した時、その事を実感させられ、風土・自然に逆らっては文明もいつかは衰退してゆくものなのだということがわかった。日本は夏は雨季で冬は乾季だが、全般には湿潤な気候である。ヨーロッパは夏は乾季で冬は雨季である。全般にカラッとしている風土である。
日本では夏、農村部へ行くと雑草との戦いで休む間もない。それに比べヨーロッパの夏は、雨が少ないし気温も比較的低いので雑草があまり生えず牧草は豊かだし、冬は雨が多いので牧草も生える。従って家畜を飼うのに適していて肉食になった民族で、極端に言えば、だから油絵が発展したかとも言える。かといっても油絵の油は植物性の油であるが、ギラギラしたものに対して抵抗が無いからかもしれない。日本人は元々、淡白というかサラッとした文化を好む。
世界の色々な文化は自然抜きには考えられなかった。水が無ければ文化どころではない。衣・食・住から文化まで風土によって生まれた。現代はグローバル化されていて、結局それぞれの風土によって生まれた文化がないがしろにされ、その民族が長年に渡って培ってきた文化までも衰退する傾向にある。又、日本には地方によっても伝統の違いがあり魅力を発見するのである。けれども最近は地方の駅に降りても、東京と同じ町同じ建物同じ店と画一化され、味気なくなってきている。
自然に対する覚悟(太陽の画家三谷祐資)
司馬遼太郎先生の貴重な話があります。フランシスコ・ザビエルの話ですが、先生が取材でザビエルの生誕の地スペインに向かわれた時、「私共は飛行機で一気に飛び、しかも大気を汚して行く訳ですが、ザビエルは帆船でしかも命がけで日本まで布教に来た訳です。」そのことを想うと、私共は何と罪の重い人間なのかと感じられたと、要約するとそのような話です。私も同じですが、取材の為とはいえその事に値するのか、という気持ちはとても大切な言葉で、私も大気を汚す事は極力少なくし、この言葉を座右の銘にして、感動を伝えられる仕事をしなければと改めて想います。
それから松島に行った時ですが、松島を見下ろす高台に「西行呼び戻しの松」があり、案内板を見ますと、「西行は松島まで来て松島を見ずに去った」とあるのです。その当時ですから徒歩の旅ですが、ここまで来て、さあ夢にまで見た松島の景色を眺めようとした丁度その時、牛飼いの男が牛を引きながら歌を詠むのですが、その歌は牛飼いの男が作った歌ではなく誰か先人が作った歌でしょうが、今はどのような歌かはわかりませんが、自分はその牛飼いの男の歌った歌にも劣っていると感じて、見る資格も無いと松島を見ずに去ったという事です。何という覚悟かと心打たれます。
私共は今は電車か車で行く訳ですが、余りにも目まぐるしく心がついて行かない状態です。本当に奥の細道などを味わうには、汗を流して無になって歩くことでしょう。そうしていると、自然に私共も芭蕉や西行になれるものではないかと思う時があります。もっと若い頃は電車も使いましたがリュックを背負い、てくてくとよく歩いておりました。野宿をした事もあります。そうして自然の中に抱かれ、自然と牛飼いの男ではありませんが、奥の細道を歩いているといつしか芭蕉になっているのです。
スローでないと、日本の素晴らしい美しい情緒は本当の理解は出来ないし、自然の中に入っては行けない。真っ暗な夜道や何が出て来るかわからない、恐ろしい時もありますが、その時の覚悟というものが必要だったと思うのです。そして和らげてくれるのは、自然に抱かれているという気持ちです。
最後に、自然や風土と人間とは表裏一体であり、人間の乱れる時は自然も乱れ、災害や不安が広がり世の人の心も乱れ、美しい情緒を感じる間も無く弱肉強食の無責任人間を生み出す昨今、国家の品格まで失いかねません!
最近読んだ本に「国家の品格」というベストセラーがあります。その中で「美しい情緒やもののあわれや日本人の持つ良き繊細さ」など日本人の特性が書かれていて、何かを見失った日本人のバイブルにしたいと思いました。そして武士道精神についても興味深い話が書かれていて、日本人の失った精神の多さに改めて考えさせれられます。そして日本人の倫理観を述べておられ、ぜひお読み頂きたい本であると思います。
宗教と風土(太陽の画家三谷祐資)
太陽の取材等で色々な国に行って感じる事は、宗教は風土によって育てられ根付くという事です。宗教はいつの時代にも必要だと思います。宗教を必要としない方もおられますが、それは儀式的なことで人間から宗教心を抜くとただの動物になってしまうそうです。
エジプトからイスラエルまで新約・旧約聖書の舞台を歩いた時ですが、灼熱の砂漠ではイエスかノーか即断で決めなければ生きてゆけない過酷な地で、年間の雨もほとんどありません。そんな地からユダヤ教が生まれキリスト教・イスラム教に別れ、同じ兄弟ですが今は争いが絶えません。いかに元に戻す事が難しいのかを物語っています。
日本のような八百万の神が生まれなかったのは、自然が豊かでなかった事と、生死を分ける過酷な地では一神教でなければ生き延びることさえ出来なかったからではないでしょうか。日本人のように朝日を再生と感じることも無く、灼熱の太陽は死さえ意味しますから、聖書での一日の始まりは日没、つまり夕刻が一日の始まりなのです。
どうしても荒々しく、食べる事を申しますと、羊を主食としますから、羊を食べる為にもどの羊にするかはっきりさせねば、日本のように曖昧である事は許されませんし、一神教の契約ですから他の神は許されません。これが根本で今も流れているようです。
インドで生まれた仏教もなぜインドで広まらずに日本やその他の地域に根付いたのかと考えますと、仏教の戒律が風土においては厳し過ぎたのかではないかと思います。それより今のインドはヒンズー教徒がほとんどですが、暑過ぎる国では生きる事さえ過酷で、生殖の神を主とする大らかな神が風土に根付いたのではないでしょうか。
シルクロードを通って入った仏教も、時の権力と結びついて広まって行ったのですが、権力が無ければ仏教が入らなかったかもしれません。それ以前の神道においては、入る予知(余地?)もなく、世の乱れに乗じて必要となった事ではないでしょうか。それが日本の風土の中で互いの守りとして発祥してきた
日本には八百万の神、全ての中に神があり、豊かな自然の中でこそ芽生えた湿潤な教えかと言えますが、神が自然を創ったのか自然が神を創ったのか別にしましても、全ての中に神が存在する教えである事に変わりはなく、一つ一つの神に感謝申し上げていたら一日では終わりません。結論として、全ての事に感謝しましょうという事ではないかと思うのです。
自然との共生が地球上で言われておりますが、日本で京都議定書を作りリードしていくのは、技術面でも優れている事もありますが、元々日本人には自然神・八百万の神が内在していて、西洋的に自然を征服する時代が終わり、自然と共にある日本的な考え方の時代を迎えているからではないでしょうか。これは好む好まざるの問題ではありませんし、貢献しなければ生き延びる事も出来ません。自然の流れなのです。
朝日・夕日の取材について(太陽の画家三谷祐資)
朝日の取材は特に大変である。家から出かける範囲だと朝の2時起きの時もある。ただ偶然に気の向くまま行けば良いというものではなく、まず調べられる範囲はそれまでに方々の手を使いながら、おおよその当たりは付けて地図を頭に入れて、朝日の方角を考えながら鳥瞰図的に考える。自然の中には山あり谷ありと制限があり、その事も考慮に入れながら、常に天気図を考え最後には勘である。必ず方位計を持ち、まだ星が輝く頃から太陽の位置を予測する。それも風景の美しい場所と情報の無いところもあり、奇跡に近い時もある。何しろ感動が無いといけないのだから。宿泊する旅行中の時は、前日の日中に行って調べる。外国の場合は特に大変で、ガイドが必要になる。行く前に前もって行きたい場所の計画を練って貰うのだが、その為の資料をガイドへ送るが届くと限らず、折角送っても届いていない場合も多い。日本のようにすんなり届くことは少ない。
ガイドは朝日の絵・夕日の絵を描く取材と伝えると、昼間は休息と、誰しも楽に思っているらしく、2・3日もすると昼間に休みが無いことに気づき、ガックリきているようだ。というのも、昼間は準備つまり次の日の朝日と夕日を取材する場所へ行って確認する為にあるからである。距離のある場合も多く、朝は暗い内から、夜も月の取材に出かけることもある。さすがに夜はガイドも疲れるので自力で行くが。ガイドを褒めたりなだめたり、サービスも忘れないが、時には圧力で迫ることもあるので1週間位経つ頃にはくたくたになる。これが何週間も続くのだから。 特に外国は治安の悪い国では、警官をお願いしてという事もある。危険とは隣り合わせ、イスラエルなどは行ける時のほうが少ない。帰国して2・3ヶ月して今の状態になってしまった。世界で最も出入国の難しいテルアビブの空港は出国の時は3時間も前に行き、手続きには2時間位かかり、出国の飛行機に間に合う合わないに関係なく調べられる。キリスト教発祥の地がこうで、お釈迦さまの国も治安が良くない。どうしてかわからないが、月日が流れただけではないと思う。普通は夜の方が治安が悪いのだが、朝から治安の悪い国は貧困過ぎるというか、食事も満足にできない状態で言い様が無い。富の格差が有り過ぎるのである。飽食の国からは考えられない事であるが、私達は幸せな国に生きているとつくづく思う。
けれども暗い大地より昇る太陽は、そんな矛盾と不安を打ち消すように、感動と希望を与えてくれる。
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