太陽の画家 三谷祐資の絵画


グリーンランドへ

球の温暖化の象徴とも言える氷山をこの目で見てみたいと、長年想っていた。10年に亘る日本の四季の大作の制作に追われ、又、資金の面も大いにあったのだが、やっと来れた想いだ。
ペンハーゲンまで11時間、その日の内にはグリーンランドまでは行けない。1泊して早朝に、コペンハーゲン空港に向かう。しばらくすると、出発が遅れるらしい掲示がある。9時が11時、11時が13時、そして15時に出発するとあったが、結局フライトキャンセルとなり、グリーンランド航空の指定ホテルへと向かう。バスの中は、イヌイットの人達とその混血の人達の群の中に入った感じだが、なぜだか親近感が湧く。彼らがモンゴロイドであるからでもあるが、落ち着いた彼らの雰囲気と人の良さが魅了する。飛行機も天候などで欠航が多いようで、中には1週間待ちもあるらしい。

夜の空港での1日待ちも体の休めにもなり、益々グリーンランドへの思いが湧いてくる。地球儀で見ると、日本の裏側が丁度グリーンランドであるが、カナダ側からは入れない。デンマーク領であるからでもあるが、コペンハーゲンから入る。飛行機が離陸して1時間少しすると、氷山の浮いているのが水平線の果てまで、銀河の星の様に、無数に点在しているのが見える。息を呑む様な光景に、言葉も出ない。温暖化の前からも氷山は崩れ、大海へと漂流しているのであろうが、百聞は一見に如かずではないが、想像を絶する。
もなくアイスランド上空にかかる。岩の大地に点在する氷河と、少しばかりの緑、家が見えるから小さな村があるのだろう。こうして見ると、緑の大地の何と美しく有難くもあるものか。そしてこの様な光景を見るといつも思うのだが、人間もたくましく生きているのだという実感が素晴らしい。

が点在するのに極北の土地で、氷河と寒さで人の住む限界として、“アイスランド”と名付けたのかもしれない。そしてグリーンランドだが、ほとんど雪と氷の島である。グリーンランドの方が氷の島なのでアイスランドと呼ぶ方が相応しく、アイスランドには緑もあるのでグリーンランドと呼ぶ方が納得がいく。グリーンランドはアイスランドのまだ北にあり、氷の大地で想像を絶する。僅かばかりの海岸に残された岩場に、イヌイット系の人々が住む。先人がバイキング時代に、氷の島では人々も来ないと思いグリーンランドと名付けたと、何かの本で読んだ事がある。
リーンランドの手前になると、今まで小さな点の様であった氷山が、はっきり肉眼でも確認出来る大きさに見える。おそらく山ほどの大きさがあるのだろう。煎餅を手で粉々に潰して振りかけた様な形で崩れ、漂流し、陸地ではアルプスの頂上の様に尖った嶺が、氷河に埋もれている。この形を見ると、ヨーロッパ・アルプスを氷山で閉じ込め、その先だけが見えている世界と言える。
と氷の大地、人間の痕跡は何も無い。氷の深さは数千メートル、その大地が、日本の国土の6倍もあるというから、その氷河が溶けたなら、陸地が沈む事に合点がいく。それほど大変な事であるが、活字で見る世界からは、想像出来なかった世界だ。行けども行けども氷の大地である。やっと実感として湧いてくる。氷が溶けると低い都市は沈むと言われるが、量の実感の難しさを思う。グリーンランド以外にも、北極には沢山の氷河や凍土、そして南極もあり、専門家でないと実測は出来ないが、温暖化の危機を対岸の火事の様に思い生活しているのが、現代社会、私たちである。 リーンランドに行く前に、(どこへ行くにもそうだが)日本で調べられるだけ調べる。けれども、グリーンランドだけは行く人も少ないからか、アイスランドの一部に僅かな記載があるだけである。氷山が世界で一番生まれる事でユネスコの世界遺産になった、北半球最大のフィーヨルドである。それでも、そんな程度である。

氷山クルーズ

9月25日出発で、結局グリーンランドのイルリサット(氷の山の意味)に28日夕方前に着く。生憎の雨で、北極圏では秋の終わり頃だろうか?ホテルはキッチン付きのアパートタイプを用意してもらった。裏は氷山が庭石の様に目の前に浮いている。明日からボート、おそらくタラを獲る漁船だろうか。絵を描くので、チャーターしたいと、日本から手配してくれた旅行社に調べてもらったら、2時間位で20万円との返事。1度ならまだしも何回も乗船するし、船では限界のある所はヘリコプターでないと困難な様で、ここまで来たのだからと、船以上の高額にやけくそな気持ちであるが、取り敢えずツアー用の船に乗り、観察に行く事にする。これなら2時間で1人1万円、20回乗れるのだが。

造の漁船に乗り港を離れると、小さな氷山が至る所に浮遊している。30分程走ると、山の様な巨大な氷山が迫ってくる。グレーの空でも、不思議な鮮やかなアイスブルーに輝いている。氷山の内から光っている感じで発光している様である。綺麗なアイスブルーであるのは、氷が出来た時の具合に由来する。雪が降り積もり、そして凍る。その繰り返しで氷山が出来るのだが、その時、雪の間の空気が凍りに閉じ込められるので、美しいアイスブルーになる。南米のアンデス高地の氷河では、太陽に溶かされてしまい空気が入らないので、濃いインクブルーになるらしい。

り来る氷山は、何という圧迫感か。想像を絶する山程の大きさと、巨大な氷の壁が立ちはだかる。言葉も出ない。今、生まれてくる氷山は、1万年前の氷だ。溶け行く氷はピチピチと音を立て、1万年前の空気が解き放される。
山は、温暖化以前にも溶けている。というより、生まれている。どうしてかというと、降り積もった雪が氷となり、何万年の氷の重さに耐えられなくなり、アンパンを押さえた時にアンが出るかは別にして、アンが出るというか、押されて海に崩れるのである。幅7キロ高さ千数百メートル、1日に20メートルの速度で崩れる。
1日に2000万トン、1000メートルの高さから崩れる音は凄まじい音らしく、船では危険で行けないので、ヘリコプターをチャーターしてしか行けない。

の甲板は凍って、風もあり寒い。船が揺れるので、掴まっているのがやっとで、絵などとても描けない。脳裏に焼き付ける。想像を絶する世界である。

氷山は語る

の日の乗船は、前日の辛さが残り、ホテルから歩いてゆく。未明よりの雪で、いきなり秋から冬へと、鉛色の空は雪雲だったのだ。
1時間程雪道を歩くと岬があり、そこから前日の氷山群が見える。前日の雪で、道が無い斜面の岩の間に、足で道を付けながら登る。これでも世界遺産になった記念公園なのだ。離れて見ると、氷山群は雄大で不思議な、今までに見た事の無い光景で、やっと来たという実感がある。雪の上に座りスケッチをする。1時間もしない内に、鉛色の雪雲が迫ってくると思う内、ブリザードになり、動く事も出来ない。うずくまったまま、暫く治まるのを待つより仕方なく、退散だ。
3日間、雪は断続的に降り続けるが、再度合間を縫って、ボートで氷山群に向かう。2回目で、やっと落ち着いて見られるのだが、やはり想像を絶する光景で、何万年か先の氷河期の地球に来たというか、映画そのものの世界である。自然に出来た氷山が、地球上に存在する色々な形に見えてくる。ピラミッドの様な氷山や、サハラ砂漠、ガウディーの建築の様な氷山。そして恐ろしいのは、ニューヨーク、マンハッタンを想像させるものやウォールストリートを想像するものや、何かの映像で見た沈没していくアトランティス大陸と、黙示録の様に続く。氷の何と言うメッセージだろうか。
ミングウェーの映画に出て来るような老船長が気遣ってくれたのか、やがて入り江の様な静かな所に入る。ボートのエンジンを止めると、音も何も無い。私がトレビの泉と名付けた氷山を見ていると、老船長は熱いコーヒーを飲ませてくれた。前回の船の時は、余りにも寒いので、ウイスキーを少し飲ませてもらった。それもオンザロックだが、氷は目前の氷を海から網ですくいナイフで砕くというロマンだが、その氷が1万年前の氷だとは、喜んで良いのやら複雑な気持ちである。折角なので喜んで頂いた。溶ける時、1万年前の氷に閉じ込められていた空気が、ピチピチと音を立てる。寒い土地なのでウォッカを良く飲むが、中には6万年前の氷で作ったウォッカというものまである。度数がきついので、船の上でもあり、酔うと危ないので、スコッチウイスキーを少し飲んだ。

しぶりに快晴で、昨夕の太陽が海に沈む時は強烈で、2時間も見ていた。今まで寒さに打ち震えていたので風邪気味で危ないと思ったが、ここまで来て言っておれない。
寒さにガタガタと2時間も打ち震えながら、夕日を見ていた。風もあり余計に寒い。それでも、人間の体は良く出来ていると思う。震える事で体温が上がり、免疫を上げていくという事が実感できた。余りの寒さに体内もフルに働いてくれた事などに感謝。

オーロラ出現

うやら今夜はオーロラが出現しそうで、南の空が気になり、夜9時頃、偵察に行く。玄関のドアを開けた途端、南の空に緑に輝く光を発見。初めて見るオーロラに、同行していた女房殿に報告。慌てて身支度をして、良く見える所へ向かう。イヌイットの人たちに出会うが、彼らはオーロラなど見ない。右往左往しているのは、我々2人位だ。彼らは、オーロラはこの世の生を終えた人のいる所と見る様で、不吉な世界なのだ。
ってオーロラを見ていると、首がだるい。南に出るとは限らず、西に出たり急に南だったり、全天に出るので、1時間も見ていると首がだるくて持たない。寝て見るといいのだが、昼間に十分歩いていて、本当に眠ってしまったら、雪が積もって、1万年後に氷の中にいるかもしれない。二人が枕を並べて、後の人達は何と考えるだろうか。

日、日本から24時間サポートしてくれたアイスランド航空のS氏より、心配してホテルに電話を頂いた。
オーロラはどうですか、と尋ねられ、晴天で全天に出るものですから首がだるくて、2時間程で寝ました、と言うと、三谷さん、それは贅沢というもので、寝てしまっては勿体無いというものですよ!と言われた。そんなに簡単には見られないものらしい。スケッチが出来れば良いのだが、暗闇と寒さ、そしてオーロラの微弱な光と素早さには、記憶するしかない。太陽がテーマの作者としては、オーロラもまた、太陽光コロナのなせる業なのですが。
朝日の取材から、食事をして、氷山クルーズ、そして昼から歩き回り、オーロラの頃にはぐったり。世間では、オーロラを見に行くツアーなどもありますが、昼間は夜に備えて休憩も致しますから。

天が続くので、ここまで来たのだから、ヘリコプターで上空より氷山を探すのと、氷山の崩壊してゆく所を見に行こうと考え、思い切って予約をしておいたが、久しぶりの天気で期待したが、先約の電電公社の視察が雪ばかりで伸びていて、結局2日使用されたのであきらめる事となった。金額が余りにも高いので、内心ほっとした。グリーンランドはデンマーク領なので、物資は本土から空輸なのと、北欧自体の物価も高く、大体日本の2倍位なので、思ったよりお金が掛かる。

再び氷山へ

晴の氷山は、眩しい。空も透き通るほど美しく、空の青と海の蒼とアイスブルーの氷山と白い氷山が、より一層美しい。細かく割れた氷山が、海に溶け行く。太陽の光でよりアイスブルーになり、透けてクリスタルの様に光る光景は、身も洗う美しさで、巨大な宝石の様だ。最後の華が、海に放たれてゆく姿が、心に焼き付く。

きな氷山は、山が動いているという感じで、どれもこれも旅立って行く。いつかは海に溶け行く。温暖化というものが無ければ、ロマンとして眺めていられるが、複雑な思いだ。もう少し人間が経済を緩やかにするのも、1つの方法かもしれない。
自然に背を向けていた私達だが、自然は自然に全てのものを、自然というものの方向に向かわせている。大いなる自然が動いている。世界的な色々な気候変動や情勢がある。地球自然は、人間の為にあるのではなく、たまたま私たちが住まわせて頂いている。住人が勝手し過ぎて、大家さんから立ち退きを命じられている状態なのだろうか。

まで日本の四季や太陽シリーズで、水を描く事が多かった。風景を描けば殆ど水で、雲や霧や空気、そして海や川、湖と、どれも水の変化であり、山水的な風景を生む。そう想えば私達の体も、殆ど水だ。太陽と水を描いて、究極の水の美しさ、氷山のアイスブルーに巡り会った旅だった。

国後、氷山シリーズの制作に没頭し、500号の大作や200号、150号、100号と多数描き、太陽シリーズと共に、近い将来発表したいと考えている。会期・会場未定。募集中!

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