太陽・月・自然を描く洋画家 三谷祐資の絵画


美しい日本の心・富士山

    「富士は日本一の山」という歌がありますが、子供の頃はよく歌っておりました。今はどうでしょうか。高さはそうですが、日本人の心の山であります。戦後の高度成長で経済活動が盛んになり、ゆっくり眺める事も少なくなったのではないでしょうか。便利になればなる程忙しいのも不思議な事です。
 富士山は一度、世界自然遺産にも申請しましたが、見送られました。私達の生活の現状をも富士山に映っている様です。富士山を見るというと、どうも上部だけ見てしまっているのですが、富士山に雲が掛かって見えない日に雲の下を見ると、樹林の深さと雄大さに圧倒されてしまいます。富士山が見えないからこそ見える雄大さがあります。富士山に当たった暖かく湿った海からの風が雲となり、樹林帯に降りてくる様子は、まるで竜が天から降りて来る様であり、その霧が木々を育て、深い森を造っています。地平線まで続くなだらかな稜線の樹木は、静かで深く神秘的です。
 横山大観先生は、「富士山には見る人の心が映る」と言われました。確かにそうで、見る人の心が映る山であります。無数の色々な木々は、我々の数程あるのではないでしょうか。我々が木で、富士山を中心に生きているようにも見えます。
 又、私達は富士山に雲さえ掛からなければよく見えるので、当たり前の様になっていますが、例えばヒマラヤのエベレストですが、そう簡単に見えるものではありません。まず、ネパールの首都カトマンズーからチャーター機に乗り、ナムチェという村(富士山の頂上位の標高)に着き、すぐに見えるかと思いますが、そこから歩いて五千メートルまで山を登り、酸素も薄くなり、やっとエベレストが見えるのです。一つだけの山ではなく、横にローツェやヌフツェと山群になります。考えてみますと、三千メートル程しかエベレストは見えないわけで、我々が日常見る富士山と変わらないのであります。
 富士山は老若男女誰と言わず、見たい心があれば日常の生活の中から見える、日本人に与えられた崇高な山、云わば心の山であります。春は菜の花畑から夏は田んぼ、桜に紅葉、海から山から、家の中から、新幹線からでも見える山です。そんな日常の美しく生きた世界から見える山は、富士山を置いてありません。手を合わせても余りある奇跡の山です。

世界遺産に願いをこめて
 富士山は自然遺産申請から文化遺産申請になり登録されました。即ち、日本人の信仰と文化にまつわるものと言う事でありますが、富士山の五合目以上で下界は外されました。この事を何と考えたらよいのやら。日本も世界も危機を迎える今、富士山が世界遺産登録され、改めて日本人の心としての山を中心に、私達が自然の中に生かされている事に気付き、日本と世界の自然が蘇る様、温暖化防止に向けて世界貢献してゆくその時、それが本当の意味で『美しい国・日本』になるのではないかと思うのです。

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